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高度経済成長のメカニズム わかりやすい説明

第2次世界大戦後、日本経済は戦前の水準を取り戻し、アメリカの対日政策の転換も相まって順調に成長を続けていた。
1955年から1970年のはじめにかけて、日本の経済成長率は継続して10%前後を推移し、世界的にも圧倒的な高成長を遂げた。この時代をを俗に高度経済成長という。

高度経済成長が成し遂げられた要因についてみていく。

時間がない方は記事の赤字部分だけ見てください。
日本産業の輸出力増大と、輸出品目の変化
②貿易、資本の自由化によって、日本企業が危機感を持ち、効率化を行ったこと。
③政府財政が小さく、基幹産業への投資やインフラに予算を与えたこと。

④メインバンクシステムの確立による、設備投資の促進と、経営規律の強化


日本産業の輸出力の増大と、輸出品の内容の変化

日本が高度経済成長を達成するためには、輸出力をつけることは不可欠であった。そのことを考えるためにも、高度経済成長期にあった景気後退の局面について語る必要がある。


高度経済成長期間に存在した景気後退には一定のメカニズムがある。それは景気が良くなることで物価が上昇し、輸入が増え、その結果多くの貿易赤字を抱え、ドルによって多額の支払いを行う必要に迫られるというものだ。当時は固定相場制で1ドル=360円と決まっていたため、外貨準備を行うためには日本銀行金利引き上げなどで政府側の需要を抑制するしかなかった。このように金融を引き締めたため、物価の低下とともに投資も減少していった。このまま折角の高度経済成長も限界が見えてしまうということは明らかだった。


この問題を解決するための方法は、2種類ある。それは経常収支を安定させるために①輸入を減らす②輸出を増やす、このどちらかしかない。
1957年から1958年の景気回復期には輸入を大きく減らすことで、貿易収支を改善させたが、この時期の輸入は工業の原料や食料など生産活動に大きくかかわるものであった。つまり長期的に日本人の生活水準を高く保つためには、輸入量を減少させるべきではない。輸出量を伸ばすことで貿易収支を改善しなければ、継続的な高度成長はなかった。


1963年の景気後退に対して日本は、輸入量をマイナスにすることなく、輸出量のみを大幅に増やすことで克服して見せた。そのことには日本の輸出品の内容が変化したことが挙げられる。繊維製品から鉄鋼や船舶などの工業製品にシフトしていったのだ。現在の日本産業の主役であり続ける自動車産業が世界で国際競争力を持つようになったのもこのころである。

②貿易、資本の自由化

輸出力の増大の背景には、世界のルールである貿易と資本の自由化がある。戦後の社会はアメリカを中心にIMF国際通貨基金) 、GATT関税および貿易に関する一般協定)を整備した。これはつまり、ドルを世界の基軸通貨とし、関税や輸入制限を禁止することで自由貿易を促進しようとするものだ。加入当初は例外的に輸入制限を認められていた日本も1960年から徐々に貿易の自由化率を上げ、1964年にはIMF8条国にも組み込まれた(このことは日本が先進国の仲間入りを果たしたことも意味する)。

貿易と資本自由化により、アメリカの資本が日本に流入し乗っ取られるかもしれないという危機感を持ち、各企業が競争力を高めなければ生き残れないといった状況に置かれた。その認識は官民双方で見られた。結果として、農業基本法中小企業基本法によって政府からも産業政策が実施されるとともに、企業側でも自由化開始の期日をリミットとして生産費のカットや品質の改善、効率的な生産システムの追求が行われた。このことは、これまで一定の制限のもとで強い競争にさらされていなかった日本企業が、効率化された世界で戦える企業へと成長する契機となったのだ。


③政府財政の小ささ

高度経済成長のメカニズムとして、当時の日本財政はその規模が小さかったことにも注目したい。世界的には戦争によって政府の財政規模は拡大し、戦後もその影響を残す傾向がある。しかしながら日本は、小さな政府を実現していた。理由は、GHQ占領政策の方向性が日本に戦争する力を持たせないようにすることだったからである。そのために、戦前大きな財政支出の原因(1930年代半ばには40%を超える)であった陸海空軍は解体され、防衛費に予算を割く必要がなくなった。


またもう1つ社会保障費が大きな割合を占めていなかったことも要因である。制度的に日本の社会保障は企業の中に組み込まれていた。社会保険料は企業の保険料負担によっても回収され、また企業は会社独自に社宅などを設けることで実質的な社会福祉を担当していた。さらに追加するならば、高度経済との好循環で失業者が少なかったことも社会保障費の減少につながっていると思われる。


このように防衛費や社会保障費といった大きな分野で予算を削減できたことで、基幹産業への投資や交通、情報等のインフラ整備に予算を割くことができたのだと推測できる。



④メインバンクシステムによる、設備投資の促進と経営規律強化


高度経済成長のメカニズムとして、メインバンクシステムの確立が挙げられる。メインバンクシステムとは、企業が主に取引する金融機関を1行に定め、密接な関係を保つという日本独自の金融慣行である。高度経済成長期にかけて大幅な資金不足に陥っていた企業と、金融規制のもとで大口顧客の確保を求める銀行の利害が一致する形で、この時期に確立された。


この結果として、設備投資が促進された。本来であれば、企業と投資家の間には情報格差がある。というのも、投資家は企業がやろうとしている事業について、詳しい情報を持っていないのが普通だ(貸し手は技術者でもなんでもないからね)。そのため、信頼のおけない企業にお金を貸すことには、必然的に抵抗が生じる。しかし、メインバンクシステムにより、貸し手である銀行が、1つの企業と密接に結びつくことで投資プロジェクトの情報に精通し、資金供給のハードルは下がる(集中して情報を精査できるし、情報の蓄積もできる)。結果、当時今ほど知名度のなかった本田技研などの企業が、積極的に設備投資をできるようになったのである。


また、企業と銀行が密接に結びつくことは、企業の経営規律にも大きな影響をもたらした。特定の企業に大きな投資を行うことで、銀行はその企業の経営状況を注視する必要が出てきた。銀行の利益に占める特定企業の割合が極めて大きくなったからである。その結果、ひとたび企業の経営が悪化すると、銀行は企業に役員を派遣するようになり、経営に介入するようになった。高度経済成長期は、外資による乗っ取りを防ぐための安定株主化によって、企業に対する市場の監視が弱まっていた。そのような状況の中で銀行が企業の経営を監視することで、能力のない経営陣が居座ることなどを防いでいたのだ。


まだまだ要因は挙げられるが、区切りとして本記事ではここまでにしたい。

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