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リベラル・コミュニタリアン論争とは【分かりやすく解説】

※時間がない方は赤字だけ読んでください



リベラル・コミュニタリアン論争とは「一言で」

”国家の「文化・コミュニティ政策」をめぐる立場についての論争のこと。”
少し抽象的なので、まずはこの言葉だけ抑えて、リベラル側の意見とコミュニタリアン側の意見を見てください。



リベラル側の意見

 社会の中にはいろいろな考え方の人々がいる。そのため、自由を実現するためには、国家が特定の価値観や生き方を奨励したり、特定の団体や宗教等にコミットするべきではない。個々が自由な生き方を行い、それを互いに認め合うことで人々の自由は達成されるのだ。


というのがリベラル側の意見になります。
※リベラル側の学者(Brian Barry等)


コミュニタリアン側の意見

 私たちは人生の大半を共同体の中で生きている。こうした共同体が私たちの道徳的・政治的判断を形成しており、私たちには、私たちの生活に意味を与えてくれる特定の共同体を支援し、養うという強い義務がある。自由な生き方を成り立たせるためには、みんなが自由を成り立たせようとする文化が必要であり、共同体がその役割を担うことで、人々の自由は達成されるのだ。そのため国家は、主要な共同体へ支援をするべきである。


というのがコミュニタリアン側の意見です。



・リベラルコミュニタリアン論争の結果

この論争は、1990年代で終結を見たと言われています。大きく見ればコミュニタリアンの主張は一般的にはなりませんでした。今の社会を見てもわかる通り、国家が特定の組織共同体を政府が奨励する傾向はありません。特定の共同体をサポートすることは、そうでない人々へ抑圧につながるのではないかと懸念されたからでしょう。もちろん、コミュニタリアンの主張で受け入れられたものもありましたし、細かく言えばきりがないですが、大雑把にはこのように言えると思います。



・リベラルコミュニタリアン論争が語られた背景

社会は長らく、リベラル側の意見が主流でありました。なぜなら、先進国が自由民主主義のもとでそれぞれ高度経済成長を実現し、大量生産と終身雇用の時代でありました。そのため、社会には多くの中間層が生まれ、均質的な価値観とライフスタイルが存在しました。だからこそ、何が正しいかという文化的なコンセンサスを得ることは難しくありませんでした。しかし、大量生産の時代が終了して先進国の成長も鈍化、さらにはグローバル化が進み、人々の生き方は多様化し始めました。その結果として、このような論争が巻き起こったのです。